ジョン・ケージ:《ある風景の中で(1948)》
モートン・フェルドマン:《Two Intermissions(1950)》
フィリップ・グラス:映画「めぐりあう時間たち」より(2002)
モートン・フェルドマン:《Intermission VI(1953)》
-Intermission-
坂本龍一:映画「戦場のメリークリスマス」より(1983)
ジョン・ケージ:《4分33秒(1952)》
ジョン・ケージ:《0分00秒(1962)》
モートン・フェルドマン:《マリの宮殿(1986)(演奏時間25分)》
ポップな響きをまとう世界を周遊し、
俊英のひもとく、
フェルドマン最後のピアノ作品
音は消えゆく。ちょうど砂上の楼閣のように、発せられるやすっかりと消え失せる。しかし、私たちは、音を通して、ときおり開かれた外部の永遠性に触れることができる。広大な協和音的な響きに、構成上の不完全な対称性があり、独特の瞑想性を持つのが、アメリカ実験主義の巨匠、モートン・フェルドマン(1926-1987)の作品世界だ。古楽に通じ、音色やテンポ、音量コントロールの精妙な感覚を備えた鍵盤奏者横山博が、テル・ハリリ遺跡にあったマリ宮殿の不完全な対称性にちなんだ、フェルドマン最後のピアノ曲の謎に今、交差する。ケージ、グラス、坂本作品のどこかポップな響きを回遊し、さらに4分33秒の沈黙の後で、視(み)えてくる永遠性とは、一体なんだろうか?